2009年05月28日

おくりびと

やっと重い腰を上げて見てきました。「おくりびと」。

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「千と千尋の神隠し」以来の日本映画のアカデミー賞受賞作品。
話題になっているものを必ずチェックしなくては。

アカデミー賞受賞から、時間が経っているにも関わらず、
まだ映画館には観に来る人が絶えないようです。
新宿のど真ん中にある映画館で観たのですが、
客層はご年配のに方が5割くらい占めていました。

感想は・・・
◎「死は門をくぐり抜けること」
作品中で、このセリフが一番グッときた。
死は終わりではなく、一つの門をくぐり抜けての新たなスタート地点。
だから、「いってらっしゃい」と言って見送る。
死の世界で、また新たな歩みが待っているという死生観に、
人が亡くなった時の自分の感じ方が今後変わってくるのではなかろうかと思った。
当然、悲しみはするけれども。

◎「自分が何を遺せるのか」
作中に、亡くなった人の遺品がダンボール1箱だけ、というシーンがあった。
家族も身寄りもなく・・・。この亡くなった人が残したのは、このダンボールだけ。

これからの自分の人生、世に何を遺せるのだろう。
どんな手段で、どれくらいの人に、何を遺していけるのか。
遺すために、どうやって生きていくのか。
死ぬ時に、この世に遺せたと思えるものをつくりたいと感じた。

◎最期だから美しく・・・
死者の最期の顔を美しくする、これも納棺師の仕事。
遺された者が最後に見る故人の顔が、これまでで一番美しいものであるように。
死者を見送るという辛い場面ではあるけれども、
遺された者に故人の一番美しい姿を送るのも納棺師の仕事なのだと思った。

◎納棺師への偏見
納棺師を始め葬儀関係者への偏見みたいなものがある。
人の死で飯を食っている、みたいな。
でも、人が暮らしていく上で必要な職業。
誰もやる人がいなければ、葬式もできなくなる。
だから、絶対に誰かがやらなければいけない仕事。
そのような必要不可欠な職業に対して、「人の死で飯を食ってる」という目線は持ちたくない。
「人の死で飯を食っている」のは確かだけれども、
人から必要とされているからこそ、苦しみながらも、やってらっしゃる方がいるのだと思う。

ま、こんなところで。
これから何か行動したら、感じたことがリアルなうちに記録を書きためていきたいと思います。




posted by ごろー at 00:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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